(31)東京ボーズコレクション

ついにここまできた

「東京ボーズコレクション」なる記事を読んで、びっくりしました。本願寺はここまで落ちたのか。他にやることがないのか。以下、親鸞学徒にとっては、仰天の記事です。

8宗派僧侶が結集 「東京ボーズコレクション」
僧の唱える声明(しょうみょう)とパイプオルガンの共演など、仏教の新たな形を模索するイベント「東京ボーズコレクション」が12月15日、築地本願寺(東京都中央区)で開かれる。
天台宗、真言宗、浄土宗などの8宗派の僧が垣根を越え、幅広い層に仏教をアピールしようという珍しい試み。実行委員会が29日、東京で発表した。
キャッチフレーズは「虹を翔(かけ)るお坊さん」。ハイライトの法要では、各宗派から約40人の僧が観客にけさを披露し、声明を合唱。世界平和を願い、宗派や僧俗を超えて、つながって生きていくことを訴える。
イベントではこのほか、ダンスとラップを織り交ぜた法話ライブや、タレントの永六輔さんらの講演などを開催する。無料だが、写経などには実費が必要。実行委員会は「仏教を目で見て、耳で聞いて、心で持って帰ってほしい」と話している。
「8宗派僧侶が結集 「東京ボーズコレクション」」エンタメ‐ステージニュース:イザ!

仏教の結論は、すでに述べるように、「一向専念無量寿仏」。
釈迦一代の教え、七千余巻の一切経は、この八字におさまります。
意味は、「無量寿仏に一向専念せよ」すなわち、「阿弥陀仏以外の諸仏や菩薩や諸神を捨てて、阿弥陀仏一仏を信じなさい」という、お釈迦さまのご金言です。(詳しくは、「15.善知識ってどんな人?」)

親鸞聖人九十年のご生涯は、釈迦のご命令である、この「一向専念無量寿仏」の布教以外にありませんでした。お師匠様の法然上人も同じです。
そのために起きたのが、かの「承元の法難」でした。

「弥陀一仏以外の仏や菩薩や神を、信ずるな、礼拝するな、捨てよ」と、徹底布教されたため、それらを信ずる天台や真言、禅宗の僧徒らの反感を買い、彼らは結託して朝廷に直訴。かくして承元元年、法然・親鸞両聖人以下8名が遠流、住蓮・安楽ら4人の弟子が死罪に処せられたのです。そして法然門下は解散、念仏の布教禁止という、仏教史上かつてない大弾圧が加えられた事件。それが「承元の法難」なのです。

浄土真宗本願寺派門主・大谷光真氏は、「春の法要」で、その「承元の法難」から今年は八百年だと、紹介していました。(西本願寺/2007(平成19)年 春の法要(立教開宗記念法要)ご門主法話

ところが驚いたことに、その本願寺の築地別院で、
「天台宗、真言宗、禅宗などの8宗派の僧が垣根を越え、幅広い層に仏教をアピールしようという珍しい試み」
が行われるというのです。

天台や真言、禅宗といえば先述のように、「一向専念無量寿仏」の釈迦の真意を知らず、弥陀以外の仏を信奉している宗派、しかも「承元の法難」のきっかけとなった宗門です。
さらには、その「8宗」の中に、あの日蓮宗も含まれているというのですから、開いた口がふさがりません。日蓮は、「念仏無間」と弥陀の本願を謗り散らした男であり、親鸞学徒にとっては許すことのできない、大謗法の仏敵だからです。

それら、浄土真宗の教えとは、絶対に相容れない宗派の僧侶たちを、築地本願寺は堂々と敷地内に招き入れて、「ボーズ」を「コレクション」して、「幅広い層に仏教をアピール」するという。
いったい本願寺は、どうなってしまったのでしょうか。親鸞聖人が、「往生の肝腑、自宗の骨目なり」とまで断言された「一向専念無量寿仏」は、どこへいってしまったのでしょうか。

口だけは、彼らも「祖師は紙衣の九十年」「親鸞さまのご苦労」と言い、今年も「親鸞聖人報恩講」を勤めるのでしょう。だが、聖人が命懸けて叫ばれた「一向専念無量寿仏」を、こうまで踏みにじっておきながら、果たして本願寺は、いったい、どなたの、どんな御恩に報いるおつもりなのでしょう。そんな彼らが「幅広くアピール」しようとする「仏教」とは、どんな「教え」なのでしょう。

案の定というべきか、企画の紹介ブログ(東京ボーズコレクション)には、こうあります。

「特徴ある袈裟や衣をまじかに披露し、ご自慢のお経や声明を聞かせながらそれぞれの宗派をご紹介しながら、皆さんと一緒に『世界の平和を願う』法要を厳修します」

本願寺が、伝統と権威を笠に「門徒もの知らず」のお年寄りたちをつなぎとめておける時代は、終わったのでしょう。分別ある人たちが次々と門徒を離れてゆく中、この崩壊の危機をなんとか食い止めようという、あがきとしか思えません。

しかし、かかるデタラメな企画に、現状打開の一縷の望みを託しているようでは、「バラバラでいっしょ」どころか、本願寺のみならず、他宗まで道連れに、「いっしょ」になって「バラバラ」に崩壊するだけではないでしょうか。

もちろん「世界の平和を願う」気持ちは尊く、人間として当然であります。親鸞聖人も「世の中、安穏なれ」と念じておられます。本願寺も、このお言葉をスローガンにしているのですが、これまた情けないかな、その次の「仏法ひろまれ」の聖人のお言葉を、門主は削っているのです。
「仏法がひろまってこそ、世の中が真に安穏になる」ことを、門主自身が心から信じていないからでしょう。

『大無量寿経』には、こう説かれています。

「神力大光を演べて普く無際の土を照し、三垢の冥を消除して広く衆の厄難を済う」
「阿弥陀仏の光明が十方世界を照して余すところなく、貪瞋痴の三毒を消滅して広く諸々の災厄苦難を救う」

また、

「仏の遊履する所国邑、丘聚、化を蒙らざるはなし、天下和順に日月清明に風雨時を以ってし」
「阿弥陀仏の光明によって、国も村もどんな丘の上でも、山の上でも、天下和順で一切の人々は非常に純な心になって日も月も濁るということがなく、平和な生活がおくれるようになる。日月共に清く明らかにあって災難というものが起って来ない。そして国や家は豊かになって戦争するということがない。徳の高い人々を嵩び情深い心を起して、よく礼儀正しくする世界があらわれて来る」

とも説かれています。
かかる釈尊の教法にしたがって、親鸞聖人の御跡をお慕いし、「阿弥陀仏の本願」唯一つを、堅実に、一人の胸から一人の胸にお伝えすることが、そのまま「世界の平和」につらなってゆくこと、それが「世の中、安穏なれ。仏法ひろまれ」と仰った親鸞聖人の御心であることを、まず本願寺の責任者たる大谷氏に分かって頂きたいと思います。
そうすれば、このような築地別院の迷走もなかったであろうし、真宗人にとっての自殺行為も抑止されたはずです。

折角、「宗制」の改正によって、大事な「御本尊」の軌道修正に一歩踏み出したのです。一向宗の誇りを、これ以上蹂躙しないようにと、念じて止みません。

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