「なぜ私は親鸞会をやめたのか」を読んで
(14)後生の一大事について(親鸞会への大きな誤解1)(1/6)
浄土真宗本願寺派門主・大谷光真氏が、「春の法要」にて行った「法話」が、『本願寺新報』(5月1日号)に全文掲載されました。
題は「私の『一大事』とは何か? この世の人生の完成するところが『後生』」
とありますので、「後生の一大事」についてのようです。
前半では、親鸞聖人が『教行信証』を書かれたことをもって浄土真宗の立教開宗とすること、今年は法然上人とともに親鸞聖人が流刑に処せられた承元の法難から800年であることを述べた後で、つぎに「後生の一大事」が語られています。
「さて、今日の私たちにとって、浄土真宗はどのような意味があるのでしょうか。蓮如上人は、『後生の一大事』とおっしゃいましたが、今日、この言葉だけではなかなかわかりにくくなっています。」
たしかに今日、「後生」という言葉は日常生活で使いません。何か切実にお願いするときの「後生だから」も、今では死語に近いでしょう。「後生」とは仏教で「死んだ後」のことであることも、ほとんど知られていないのではないでしょうか。ですから、仏教で説かれる「後生の一大事」を正しく理解している人は、稀です。
では、「後生の一大事」とはどんなことでしょうか。
親鸞聖人の教えにとってどうでもいいことならば、「門主」の説教で語る必要もありませんから、大谷氏は「後生の一大事」を、浄土真宗の重大な問題として、門徒の皆さんに正しく知って頂くべく、話をなさったはず。
大谷氏の説明を聞いてみましょう。
「まず『一大事』が何かを考えることは、理解しやすいのではないでしょうか。健康、お金、仕事、家族など、二番目、三番目に大事なことはたくさんありますが、一番目はやはり、自分のいのちにかかわることでありましょう。
病気になり、真剣に考えずにはおれない方々だけでなく、平凡な暮らしをしていても、『このままいのちが終わってしまって良いのだろうか、何かむなしい』と考えると、落ち着かなくなります。
『後生』を、単純な来世とだけ考えるのではなくて、この世の人生の完成するところ、目的地と考えると、やはり一大事ではないでしょうか。」
言葉は平易です。しかし果たして、これで、
「なるほど、後生の一大事とはそういうことか」
と理解できる人があるでしょうか。意味の分からないことを、どれだけ話しても、時間の無駄になるだけです。
大谷門主は、何を言わんとしているのか。ようやく解読できたことは、
「死ねば、人生が完成する。それは目的地だから『一大事』である。
来世のことだから、これを『後生の一大事』という」
ということのようです。
では、何をもって人生の『完成』というか。この後に、
「阿弥陀如来の智慧と慈悲は、このような私を本当の完成であるさとりの世界、お浄土へ連れて行こうと、はたらいてくださります」
とありますから、大谷氏のいう「後生の一大事」とは、
「死後、阿弥陀如来のはたらきによって、さとりの世界である浄土へ往くこと」
であることが分かります。要するに、
「死んだら極楽」「死んだら仏」「死んだらお助け」
という、これまでの「本願寺の教え」を、言葉を変えて言っただけなのです。
しかし、
「死んだらお助けを喜びましょう」
では、あまりにもダイレクトすぎて、
「それでは、平生に救う弥陀の本願に反するじゃないか」
という指摘に、またさらされるとでも思ったのか、意味が分からぬ曖昧模糊とした文章を、苦心惨憺の末、あみだしたのが、今回の説教となったのでしょう。
読み解けば、何のことはない、
「後生の一大事」とは、「死んだら、極楽へ連れていって下さること」
という、従来の「本願寺の教え」そのままです。
果たして、これが浄土真宗で説かれる「後生の一大事」なのでしょうか。
釈迦の教え、親鸞聖人、蓮如上人のご教化を仰ぎましょう。
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