「なぜ私は親鸞会をやめたのか」を読んで
はじめに 〜「なぜ私は親鸞会をやめたのか」を読んで〜
恐ろしさを知らぬ者ほど強そうだが、勇気があってのことではない。
全人類はなぜ生きるか≠ノは目をつむり、
どう生きるか≠ノ突っ走る。
恐ろしさを知らぬ者ほど強そうだが、勇気があってのことではない。
真実が見えぬだけ。
あたかも、幼児が焼け火箸を握りにゆくのと同じである
(高森顕徹先生著 『光に向かって 心地よい果実』より)
「なぜ私は親鸞会をやめたのか」というサイトを読みました。
「10年以上もの間、親鸞会で聴聞を続け、幹部として活動に専念してきた」という方が、親鸞会会員をやめる決意をし、その理由を述べたという内容です。
浄土真宗親鸞会は、入会されるも退会されるも、まったく自由ですから、ご縁がなくなれば離れてしまうのも、残念ですが止むを得ないことでしょう。
ある種の違和感
それにしても、「せっかく長い間聴聞されたのに、なぜだろう」という素朴な思いから、読ませていただきました。
ところが、読み進むうちに、どうも、ひっかかるものを感じてきたのです。違和感とでもいいましょうか、なにか変だ、ちょっと違うんじゃないか、という感覚です。
そして、「この人は本当に親鸞会幹部として長い間、聴聞された方なのだろうか」という疑問までが生じてきたのです。
本願寺の関係者が制作したサイト
案の定とでもいいましょうか。実は、このサイトの制作者は本願寺に協力、賛同している者だったのです。
しかも、土蔵秘事に類するものといわれる、浄土真宗では最も忌み嫌われる者たちとも関係しています。
この人物は、西本願寺の僧侶H氏と手を組んで、「親鸞会被害・家族の会」という架空の会をネット上に作っています。
実体のない「親鸞会 被害・家族の会」
この会には、まったく実体がありません。
サイト「被害家族の会」の管理人は西本願寺の僧侶H氏であり、これは親鸞会を誹謗中傷するためだけに作られたサイトです。
その正体は、こちらをご覧ください。(親鸞会 被害家族の会の正体・親鸞会批判の真実)
教学論争に敗れた腹いせ?
また、U氏は西本願寺の司教(教学では最高位の勧学に次ぐ立場)である紅楳英顕氏とともに、親鸞会の学生をやめさせようとした事実もあります。
紅楳英顕氏といえば、知る人ぞ知る、親鸞会と西本願寺との「宿善論争」で、門主・大谷光真氏や当時の勧学寮頭・桐渓順忍氏、伝道院長・山本仏骨氏(二人は故人)を巻き込んで、歴史上、永遠に残る本願寺大敗北のきっかけを作った張本人。
その論争の内容は、西本願寺さんお答えくださいをご覧ください。
教義論争に敗れた腹いせか、仏教の根幹である因果の道理も否定するような者と手を組むとは、本願寺も情けない限りですが、この程度の人物が「司教」では、本願寺さんも、いかに人材不足かが、よく分かります。
U氏と紅楳英顕氏の人となりは、U氏と紅楳英顕氏の話をご覧下さい。
まともな布教もせず、己の本分を放棄しておきながら、親鸞会の誹謗中傷を繰返す僧侶たちには、本当に困ったものです。
サイト作者の横顔
また、「なぜ私は親鸞会をやめたのか」の管理人U氏は、勝手に他人の講演を盗聴し、著作物を許可なく公開しています。さらに、あちらこちらに親鸞会に対する悪口雑言を張り付けるという、およそモラルと品位に欠けた人間です。
(参考:「なぜ親鸞会をやめたのか」管理人からの偽装メール)
「文は人なり」とは、よく言ったもので、読んでお分かりのとおり、この人物の仏教の理解は大変お粗末であり、その人生観はきわめて幼稚です。
科学や宗教に関する知識も、杜撰というほかなく、それでいてご本人は、何か立派なことを書いているかのように錯覚しているようです。
むろん、信仰の喜び、感謝の心など、まったく感じられません。
かなりお気の毒な人なのでしょう。
何よりも、仏縁がないというのは悲しいもの。
人生の大事とは何か。
生死の一大事ということが、この人にはまったく分かっていないのです。
しかし、これは、現代人の多くが陥る迷いの代弁であり、親鸞会と本願寺の根本的な違いを知っていただく勝縁でもありますので、そのことを、親鸞学徒の一人として、これから皆さんにお話してみようと思います。
※ 「なぜ私は親鸞会をやめたのか」(http://shinrankai.hp.infoseek.co.jp/)
「なぜ親鸞会をやめたのか」を読んで 目次
1.なぜ親鸞聖人の言葉が、まったくないのだろう
2.親鸞聖人の言葉 その1
3.親鸞聖人の言葉 その2
4.親鸞聖人の言葉 その3
5.信心決定は「ユートピア」?
6.因果の道理が分かっていない
7.ごまかしの人生
8.本願寺には信心獲得(人生の目的)を求める人がいない
9.親鸞聖人の願い
10.蓮如上人の布教精神
11.マインドコントロールだと言う人に
12.いじめ自殺問題に思う-命の尊厳教える親鸞会
13.哲学者、池田晶子さんの急逝を惜しむ
14.後生の一大事について(親鸞会への大きな誤解1)
15.善知識ってどんな人?(親鸞会への大きな誤解2)
16.無条件服従について(親鸞会への大きな誤解3)
17.財施(親鸞会への大きな誤解4)
18.善知識と悪知識(親鸞会への大きな誤解5)
19.これが獲信か−親鸞会を攻撃する人工信心集団
20.こんな人工信心もある 親鸞会で私は目が覚めた
21.エドワード・サイデンステッカー教授を悼む
22.ほんとうに知りたいこと
23.都合の悪いことは言わない本願寺
24.本願寺「宗制」を改正−親鸞会の積年の追求どおり
25.歎異抄、思いっきり現代誤訳?
26.本願寺派・宗制を「改正」 御名号本尊が明確に
27.投稿「その信心は間違いです」
28. 投稿「親鸞会に出会って崩れた自力の信心」
29. マザー・テレサと神の不在 親鸞会の正しい信心との違い
30. 何が助かったのやら……
31. 東京ボーズコレクション(親鸞会を非難する本願寺の実態)
32. セミと死
33. ヴィトゲンシュタインの日記と親鸞会
34. すべてを知ったように思う人へ、アインシュタインの言葉
35. 幸福感は脳で決まる?
36. 芥川賞作家・川上未映子さんの疑問に答える
37. 芥川賞作家・川上未映子さんの悩み
38. ドラマ「白夜行」と歎異抄
39. ジム・ロジャース氏と親鸞会「すべては流転する」
40. 歎異抄の魅力の源泉
41. 門主も「昔はよかった」と歎く、本願寺の現状
42. 「ギラリと光るダイヤのような日」に学ぶ
43. 西本願寺門主 大谷光真さんの信仰
44. 「ライ麦畑で捕まえて」のサリンジャーも仏教が大好き
45. 獲信した人すべてにあてはまる体験告白
46. 時を超えた、釈迦の教え(脳科学から見た仏説)
47. すべては夢でできている(シェークスピアと親鸞会)
48. 先端科学も、仏教の一部を切り取ったもの(土井利忠氏の記事より)
49. 歎異抄の魅力を語る声
50. 「余命一ヶ月の花嫁」より
51. 「呼吸が止まる」極限の不安 やがて最後の一息が訪れた
52. 茂木健一郎さんも知りたい「人生究極の目的」
53. 体験至上主義者を教えで破る親鸞会−三木清の警鐘
54. アーサー・C・クラークと仏教と親鸞会
55. 奥菜 恵さんに、お奨めしたい本
56. 生きるに値しない人生・プラトン「国家」と親鸞会
57. スティーブ・ジョブズと親鸞会で説かれていること
58. 目指す目的に達成したら・プラトン「ゴルギアス」
59. 哲学に専心・プラトンと親鸞会 あなたは打ち込めるものがありますか?
60. 最後の日までの時間・プラトン「国家」と親鸞会2
61. 目に見えないことの大切さ・プラトン「国家」と親鸞会3
62. 死−プラトン「国家」と親鸞会4
63. 心について・プラトン「パイドン」
64. 一番大切なこと−プラトン「クリトン」と親鸞会
65. 哲学の語源−アリストテレス 真の智者と親鸞会
66. 良書を読む理由−デカルトと『歎異抄』
67. 難問は分割せよ−デカルトと親鸞会
68. 一生に一度は、すべてを根こそぎくつがえす−デカルト
69. それのために生き、死にたい−キルケゴールと親鸞会
70. 「たとえ全世界を征服し、獲得したとしても」−キルケゴールと親鸞会2
71. 「人間とは精神(心)である」−キルケゴール
72.「不安」−キルケゴール(死に至る病)
73. 絶望が最も好んで巣をつくるえり抜きの一番魅力的な場所は−キルケゴール
74.『実存(じつぞん)への3段階』1−キルケゴールと親鸞会
75.『実存(じつぞん)への3段階』2−キルケゴールと親鸞会
76.『実存(じつぞん)への3段階』3−キルケゴールと親鸞会
77. ソクラテスの弁明「人類は進歩したか」
78. 親鸞会を非難するものの大罪
79. 造られた獲信体験
80. 善の勧めを、なぜ絶讃されたか
マインドコントロールと親鸞会の真実
「親鸞会はマインドコントロールをしているのではないか」という批判を論破するサイト。
マインドコントロールとは何か、そして、親鸞聖人の教えはいかなるものか 、他力の信心とは何なのか、詳しく解説しています。
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親鸞会 参考サイト
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